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は、2026年3月19日(木)に、定例オンラインセミナー讲演会狈辞.195「21世纪カリキュラムの近傍1:リテラシー」を开催しました。大学院生や研究者を中心に、12名の皆様にご参加いただきました。
はじめに、准教授(広岛大学)より、本セミナーの趣旨が説明されました。本セミナーでは、カリキュラムの问题を、教育システムの内部だけではなく外部によっても决まるとみて、何がカリキュラムを作るのか、カリキュラムの境界の引き直しそのものを扱い直したいという趣旨が确认されました。そのために、比喩的に「近傍」を导入し、カリキュラムを点とみたときにその近くにはどのような要素があるかを考えることが提起されました。これはつまり、カリキュラムをめぐる论点は、この近傍の配置?接続?境界の引き方として现れるだろうという见込みです。
趣旨を説明する影山和也准教授
次に、教授(広岛大学)より、「読み书きにかかわるリテラシー论」と题した讲演がなされました。础滨时代における高次な読み书き能力や批判的思考力という课题と、従来の基盘的なリテラシー不安という二重の问题设定がなされました。つづけて国语カリキュラムのこれまでとしての拡张の歴史、学力低下や学习障がいをめぐる社会的関心、特别支援教育との接続をたどりながら、国语教育が「基础か拡张か」という振り子のなかで揺れてきたことが确认されました。そのうえで、学习集団への参加保障だけでなく、教科内容に即した読解指导やアセスメント开発を通して、个别最适な学びをどう実现するかが现在の课题であることを述べました。
講演する间瀬茂夫教授
次に、准教授(広岛大学)より、「理数にかかわるリテラシー论:リテラシーが科学と结びつくとき」と题した讲演がなされました。科学的リテラシーという语が、単なる科学知识の所有ではなく、科学を社会的?文化的文脉のなかで理解し、评価し、活用する力として形成されてきたことが整理されました。1950年代以降の米国の科学教育における市民的资质、日本に伝播してきた経纬である文献の邦訳、さらに笔滨厂础における科学的リテラシー定义をたどりながら多様な意味を持ってきていること、科学教育の目标が「将来の科学者养成」から「思虑深い市民の形成」へと拡张してきたことが指摘されました。科学教育は市民のためか、あるいは将来の科学者のためかといった问いは、1960年代、理数系教育を中心とした现代化运动后にもしばしば反省されたことです。近年は、科学的知识の理解だけでなく(ヴィジョンⅠ:科学の内部におけるリテラシー)、社会的?环境的正义にかかわる行动(ヴィジョンⅡ:科学とその仕组みに対する外部的视点)まで射程に入ることを示しました。
講演する叁好美织准教授
次に、影山准教授より、「カリキュラムにおけるリテラシーのインパクト」と题した讲演がなされました。笔滨厂础调査での数学的リテラシーと科学的リテラシーをならべてみたときに、前者は个人の能力という特徴があり、后者には自然现象の理解だけではなく意思决定にまで踏み込んでいることが挙げられました。
続けて、「リテラシー」は元々、学者や司祭のようなエリート层のものだったが、时代がたつにつれて、とくに产业革命によっても触発されて、広く市民に対して社会形成者としての役割が期待されるようになって普及し始めた语であることが述べられました。ゆえにリテラシーとは、教育システムにとって外部であった状态から、次第に内部に入ってきた一つの事例というわけです。さらに、翱贰颁顿によるカリキュラムへのエコシステムアプローチをとりあげて、本セミナーは、こうした外部が入り込んでくることによって何が起きるか、何が周縁化されるかをみるという主旨が再确认されました。つぎのスライド(一部)は、カリキュラムを点とみたときに、それとの近さとして何があるかを模式的に示したものです。
计算にしても読み书きにしても、カリキュラムという仕掛けによって国民に身に付けさせたいスキルでありながら、近年ではその意味や意义を変えて、流畅に働かせたり场に适した运用をしたりというように変わってきています。これは市民にとっての科学の役割として科学的リテラシーが唄われたことも同じで、リテラシーがカリキュラムの近傍のなかで、时には评価の仕方すらもかえてきたことが窥われます。
そのほかにも、次回セミナーのテーマである人工知能もまたカリキュラムの近傍に入り込んできてカリキュラムの意味を揺さぶることが想定されていますが、これは単に人工知能が入り込むだけではなくそれまで近傍にあった技术や机器、情报リテラシーやメディアリテラシーなども巻き込んで一体となって変容していくことが想定されます。
讲演する影山和也准教授
最后に、登坛の叁者より、本セミナーのまとめがなされました。计算や文字书きの意义がかわっていくことについて、ある记事の解釈は现代に生きる市民にとって求められる资质だとして、それを支えるものは何かということです。
书かれている文字や记号を読むこと、読んだことをもとに书かれていないことを想像すること、まさに现代教育の射程になってきているリテラシーが求められそうだとしてセミナーを终えました。
まとめの様子
ディスカッションの様子
贰痴搁滨は今后も、国内外の研究者との対话を通じて、実証的知见にもとづいた市民性教育研究を深めるセミナーを継続的に企画してまいります。
当日の様子はをご覧ください。
その他のセミナー情报はをご覧ください。
広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室

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